ブログを始めることにする。
内容はこれと言って決まってはいないが、自分自身と向き合う手段としてブログを使用するつもりだ。
だから趣味のこともたくさん書くし、自分の心のこと、気持ちのこと、人生について、書いていきたい。
そして何より、このブログを運営することによって自分自身のアイデンティティを確固たるものにしたい。
それが一番の目標であり目的である。
それが一番の目標であり目的である。
そもそもアイデンティティというものについて意識したことのある人はどれだけいるだろう。
多くの人はこの問題についてさほど意識することなく学生生活を終え、社会人として働き始める。結婚出産子育てを経験する人もいるだろう。そして遅かれ早かれ死を迎える。
アメリカの心理学者 エリクソンはこのアイデンティティという概念、そしてライフサイクルにおける発達課題を提唱した。
発達課題というのは、人の成長過程のあらゆる段階においてクリアしなくてはいけない課題をいう。
特にわかりやすい具体例として
児童期、つまり小中学生といった初めて学校で学び始める時期が挙げられる。
この時期の発達課題は勤勉性vs劣等感。
勉強ができる子供は他者から認められることが多くなる。一方で勉強が苦手な子は学び舎の中では劣等感を抱きやすくなる。
勉強に関する勤勉性、劣等感がすべてではないが、多くの人が実感し理解しやすいのはこのあたりだろう。
多くの人はこの問題についてさほど意識することなく学生生活を終え、社会人として働き始める。結婚出産子育てを経験する人もいるだろう。そして遅かれ早かれ死を迎える。
アメリカの心理学者 エリクソンはこのアイデンティティという概念、そしてライフサイクルにおける発達課題を提唱した。
発達課題というのは、人の成長過程のあらゆる段階においてクリアしなくてはいけない課題をいう。
特にわかりやすい具体例として
児童期、つまり小中学生といった初めて学校で学び始める時期が挙げられる。
この時期の発達課題は勤勉性vs劣等感。
勉強ができる子供は他者から認められることが多くなる。一方で勉強が苦手な子は学び舎の中では劣等感を抱きやすくなる。
勉強に関する勤勉性、劣等感がすべてではないが、多くの人が実感し理解しやすいのはこのあたりだろう。
このように、成長段階に応じて人は様々な壁にぶつかり、それを乗り越えることで成長し、自分というものを作り上げていく。
エリクソンの発達段階における青年期の課題は、同一性vs同一性の拡散である。
ここでようやく自己同一性、つまりアイデンティティの登場だ。
青年期には自分が誰なのか、自分とはなんなのかが課題となる。
自分の役割、社会に求められている自分とはなんなのか、そんなものを理解していく段階だ。
これをクリアできないと、自分のやりたいことがわからなかったり、何に忠誠心を持つべきかわからなくなる。
そして異常なまでの入れ込み(カルト団体にハマるなど)、依存なども起きる。
ここでようやく自己同一性、つまりアイデンティティの登場だ。
青年期には自分が誰なのか、自分とはなんなのかが課題となる。
自分の役割、社会に求められている自分とはなんなのか、そんなものを理解していく段階だ。
これをクリアできないと、自分のやりたいことがわからなかったり、何に忠誠心を持つべきかわからなくなる。
そして異常なまでの入れ込み(カルト団体にハマるなど)、依存なども起きる。
なぜわざわざブログを使うのか
私の性質を端的に表現するならば
・秘密主義
・天邪鬼
・極度の心配性
・怠惰
・無関心(それに付属する優しさ)
この5つ程度だろうか。
・秘密主義
・天邪鬼
・極度の心配性
・怠惰
・無関心(それに付属する優しさ)
この5つ程度だろうか。
誰かに自分の内心を打ち明けることが大変苦手である。
自分の感情、考えを他人に伝えるのが苦手だ。
また、大抵のことには無関心なため、意見を述べるのも面倒に感じることもある。
自分の感情、考えを他人に伝えるのが苦手だ。
また、大抵のことには無関心なため、意見を述べるのも面倒に感じることもある。
これらの性質はブログのような公開された場所とは大変折り合いが悪い。
なんといっても書くことがない。
自分の心の裡をわざわざひけらかすなど言語道断なのだ。
なんといっても書くことがない。
自分の心の裡をわざわざひけらかすなど言語道断なのだ。
それでもやろうと思ったのは自身の同一性の拡散と向き合うため。
自分の気持ちを言語化する、視覚化することで何かに気付けるかもしれないという淡い期待がそうさせている。
自分の気持ちを言語化する、視覚化することで何かに気付けるかもしれないという淡い期待がそうさせている。
うまくいくかどうか、そもそも続くのかどうかまったく不明だが、まずは自分と向き合うというその一点だけでしばらく運営していくつもりだ。