小説 パンとスープとネコ日和 読み終えました
ドラマ版『パンとスープとネコ日和』を見直したのをきっかけに、初めて群ようこさんの原作を読みました。
原作小説とドラマ版では掘り下げ方が違い、それぞれ楽しめるようになっています。
現在第2弾にあたる『福も来た』も読み進めているところです。
ちょっぴり本紹介
せっかくなので、少しばかり感想を。
小説を買おうか悩んでいる方、ドラマ版にハマった方などの参考になれば幸いです。
小説の結末についても触れます。途中、注意書き以降は気を付けてください。
久しぶりの読書、丁度いいサイズ
小説を読む、というと少し身構えてしまう。別に読むのが嫌いというわけではないが、最近は字を読むのが面倒で、つい流し読みになってしまいがちだった。
いくらドラマ版を気に入ったからと言って、小説も気にいるとは限らないし…
勢いでポチったのはいいものの、なんとなくそわそわ心配しながら待った。心配なくせに第三段まできっちり買っているうえ、かもめ食堂まで買ったのはなんなのか
実物を手に取ると、親しみのあるサイズ感で「これなら…」と思える厚さだった。ラッキー
ページにして 厚さ1cmほど。文体も内容も軽やかで、あっさり読み終える。
読書から離れている人でも気軽に手がつけられるはず。
感想 ドラマ版と比較しながら
まず、小説版では主人公・アキコと、アキコの母親・カヨの思い出が語られる。ドラマでは深く触れなかった部分だ。
小説版は『アキコと母親との関係』と、それに付随して『アキコにとっての家族』を全体のテーマとして扱っている感じがした。父のこと、異母兄弟がいるであろうお寺のこと、そして母のお店のこと。それらに感情を揺さぶられるアキコの心中を、重くなりすぎずに語っている。
ドラマ版では母親との関係よりも『アキコ自身』により焦点があたっている感じだったので、小説のアキコはより人間らしさがあるように感じた。
簡単に言えば、ドラマ版は映画『めがね』風の味付けがされている。浮世離れしたような空気間。アキコがしっかり自分を持っているような…。商店街のおじさんたち、喫茶店のママは優しくてよく見ていてくれる。役者さんたちの力を借りて、もう一つ別の『パンとスープとネコ日和』という話を生み出した感じ。悪い意味ではない。
映像化というのは難しい。あまりに原作通りにつくっては映像化する意味が薄れ、あまりに原作とかけ離れては怒りを買う。
『パンとスープとネコ日和』はいいバランスだったんじゃないかと、私は思う。
群ようこさんが作品に残した余白と、製作スタッフが作品を信じて付け足した絵がうまくかみ合ったのだと。
ドラマ版が原作をうまく生かしているのはシナリオだけではない。小さな一場面を限られたシーンの中にパズルのように当てはめている。
例えば毒を持つ花、生花店の奥さん、チョコレートをくれた先輩など…映画では別の人にうまく役割を持たせている場合があって、うまく原作の話を取り入れている。
また、オリジナル要素はドラマ独自の空気間を出すためには必須だったのだろう。
ドラマ版の、現実離れした雰囲気が苦手な人もいるだろう。そういう方はぜひ小説版を手に取ってもらいたい。
こちらはドラマ版では出てこなかった、ちょっと嫌な人とか、目には見えないアキコのお店を嫌う人とか、結構現実的な嫌な人が出てくる。決して順風満帆というわけではないということがわかるし、アキコの料理に対するこだわりや勉強をしている姿なんかは小説じゃないとわからない。
ドラマ版は現実離れしている分、現実逃避したい、夢を見たい、疲れている人にはもってこいなんですわ(個人の感想)
ここから先は小説の細かな内容に関しても触れていきます。
たろちゃん
猫のたろちゃんに話しかけるとき、アキコの一人称が「おかあさん」になるところも好きだ。この辺はアキコがネコ好きであること、たろちゃんを実の子供のように愛していることがよく伝わるし、実際の愛猫家に通ずるものがあってリアリティを感じる。
たろちゃんをかわいがるアキコをいたるところで描写することで、最後らへんの出来事に対するアキコの心により感情移入できた(この辺の話は小説版のミソだと思うので、後述します)
アキコがお店を始めるまで
ドラマでは尺の問題もあったのだろう、アキコがお店を始めるまでがかなりあっさりしている。料理専門学校の先生に背中を押され、メニューの準備し、お店の改装をして、しまちゃんと出会う。そして開店という流れだった。
これが小説版ではもう少し踏み込んで、現実寄りに書かれている。お店を開くことを決めたあと、アキコが料理学校で一年間勉強したこと、仕入れには少しこだわったことなど、ただ単純にお店を始めたわけではなくしっかり勉強してようやく始めたことも書かれている。
母の店の常連さんと商店街の人、お客さん
アキコの母、カヨのお店の常連さんはアキコのお店の空気には馴染まない。これは小説版でかなり明瞭に書かれている。
ドラマ版、アキコとしまちゃんの会話で「似たような雰囲気の人が多い」というのがあった。ニュアンスとしては悪くないような感じでの台詞回しだったが、私はなんとなく(それって排他的とも言えるよなぁ…)と感じていた。小説のアキコはこの「似たような雰囲気の人が多い」問題に関して少し悩んでいる描写がある。かなり好感をもったポイントだ。
アキコは、母の店の常連さんの居場所を奪ってしまったと考えることも多く、排他的な雰囲気については「それでいいのだろうか…」と、お店のオーナーとしても悩みながら経営をしている。
ドラマでは行方不明になった たろ、小説では…
ドラマ版のたろはいつの間にか行方不明になってしまい、見つからないまま物語は終了する。(私は勝手に「たろは住職さんのお寺に行った」と思っている。住職が「この頃新顔の猫が来た」という話をしていたからかもしれない)
たろがどうしているのかは特に語られず、アキコとしまちゃんがたろにそっくりなネコに会いに行って終了。
では小説版ではどうなったかというと…
なんと たろちゃんは死んでしまいます…。
急に具合が悪くなり、アキコが仕事を終えてお店からあがると、たろちゃんは苦しそうに呼吸をしていた。急いで動物病院に向かうも、既にたろは亡くなっていました。
ひどく落ち込むアキコ。ペットロス状態になってしまう。
ここからのアキコの悲しみは痛いほど伝わってくる。ふとした瞬間にたろちゃんを思い出してワッと泣いてしまうアキコ。悲しみの波が引いては押し寄せる。
小説のこの結末には驚いてしまった。
まさかたろちゃんが死んでしまうなんて…。
小説版を読んでよかったと、読書中何回も思ったが、最後まで読み終えたとき、やっぱり読んでよかった思った。
ドラマ版でははっきりしなかったたろの動向だが、行方不明というのはそういうことだったんだ…と。
ドラマはひたすら優しい雰囲気だったので、明瞭に死というものを書かなかったのだと思う。それに小説と違って次があるかは不明だし、たろちゃんが死んで終わりだなんて後味悪いもんね…。
小説とドラマ、どちらも大変楽しめました。
初・群ようこさんでしたが、読みやすくてよかったです。
しばらくは読書頑張れそう
この記事を読んで興味を持ってくださった方がいればうれしく思います。