父親のことが苦手だ。
話すことは何もないし、話しかけられると苦痛だ。
できれば視界に入れたくないし、父親のにおいが感じられると不快に思う。
母親のことを手放しで慕っているわけでないが、比較するに及ばないほど父親は苦手だ。
父親は人によって露骨に態度が違う。そんなところが本当に嫌いだ。
女性に対する態度は本当にダメ。
特に「コイツには怒鳴っても嫌味を言っても平気だ」と評価した人に対する態度は見てられないほどだし、傍目でみていて私の精神が困ってしまいそうだ。
だから苦手というか、たまに『大っ嫌い』まで評価が下がることもある。
男性には甘い。特に自分と似た人や共感できる人なんかにはあまっちょろい。
そこも嫌だ。
別に共感できる立場の人に親切にしてあげられるのはいいことだ。でも親切にしてあげている人とそうでない人の差がありすぎて気持ち悪い。
キレやすいところも嫌いだ。
そんな人間の遺伝子を半分ほどを持っている自分すらも嫌になるほど嫌いだ。
しかしながら『嫌い』とだけいうのも、公正な目で物事を見て評価したいという私のポリシー的なものに反する。
ちゃんといいところも知ってはいるのだ。
父親のいいところはちゃんとある。
私がごはんを作った時は、不器用ながらも必ず「うまい」と言ってくれるところとか、
仕事は一応がんばっているところとか。
案外努力家なところとか。
まあ、他人と比べて優れているところや良いところも少しくらいはある。
嫌いなところは圧倒的に多いけど、良いところもちゃんと見てはいる。たぶん。
私は自分に流れている血が大っ嫌いだ。
だからこそ、身内のちょっとした良いこととか、褒めるべき点なんかを細々見つけていかないとダメなのかもしれない。
自分自身を肯定できなくなったら本当におしまいだ。
自分のこともあまり好きにはなれないけれど、「親を反面教師にできているじゃないか」とか「ちゃんと嫌いな人のいいところもみてるじゃないか」とか、些細なとこを見つけて自分を肯定することで『自分好き補正』をかけて生きているんだろう。
良くも悪くも、生まれは選べない。
今この立ち位置でなんとか自分が幸福に生きられるようにしたい、などとは常々思っている。