今日はなんだか少し落ち込み気味になった。
なんとなく読書しようと思っていつもどおり群ようこさんの作品を手に取ってみたが、なんだか気持ちが上滑りしていくような感じ。とりあえず流しておいた音楽に気が向いてしまってダメだった。
何かをするときの作業用の音楽はバックグラウンドミュージックという役割を徹底しなければならない。だから、読書の時にしっかり聴かせてくるような音楽をかけてしまうのは気が散っていけないのだ。
そこまで考えてサティのことが頭の中に浮かんだ。
エリック・サティは「家具の音楽」という、BGMの元祖のような音楽を作っている。
サティの音楽だって、きちんと聴けば聴きごたえがあるのだが、後ろでさらっと流しても大丈夫な懐の深さというか、空気に馴染んでくれる包容力のようなものがある。
久しぶりにサティ関連の本でも探してみようか。と、とりあえずkindleストアを覗いた。kindleはいまいち「これを読みたかったんだ!」という本がないため、最近はもっぱら漫画なんかを手っ取り早く読む道具くらいに使っている。
いつも通り、これといって目を引くタイトルはなかったが、それでも検索結果を見ていると『サティと庭とデカルトと』という本を見つけた。
サティと、庭と、哲学者。
不思議な取り合わせのような、でもしっくりくるような。
タイトルがどれだけ内容を表しているのかはわからないけど、そんなにヘンテコなタイトルじゃない。それに表紙にネコがいる。サティは犬派っぽい言葉をいろいろ残しているけど、どちらかというとネコっぽいんだよなぁ、と思ったりする。
とりあえずサンプルだけ読んでみることにした。
始まりは曇り空に日本っぽいジメっとした黴臭さを感じるような感じだった。純和風のおうちに日本庭園が出てくるからだろうか。
主人公は莉央という女性で借り家に住んでいるのだが、その借り家は大家である神崎夫人の邸宅の離れなのだ。
神崎夫人は旦那さんを亡くしているため、莉央も神崎夫人も女性の一人暮らしということで、お互い何かと助け合って暮らしているといった感じ。
…なんだか群ようこさん味を感じながらも読み進める。
莉央はかなり論理的に物事を考える女性で、哲学っぽい物の考え方をする。
群ようこさんの本の主人公とは違って、難しいことを考えている。でも本質的にはかなり似ているように感じた。
仕事を辞めてパリに留学しに行ったり、フランス語を生かして仕事をしながら借り家で慎ましく暮らしている彼女は、『れんげ荘』のキョウコになんとなく似ている気がした。
莉央の年齢はおそらく20代後半~30代前半といったところだろうか。年齢の割にものすごくしっかりしているように感じる
サティのピアノ曲が好きなのはフランスに関連してだろうか。サティが楽譜に残した言葉は少し哲学味がある。とくにグノシエンヌ第1番~第3番。
そんなに長い小説ではないようだ。とりあえず半分ほどのところまで読み進めている。
明日には感想を書いているかもしれない。
なんとなく見つけた本だけど、かなりのめり込んでいる。見つけられてよかった。
関連記事とまではいかないが、過去にサティに関する記事を書いているのでとりあえず貼っておくことにする。
結構前に書いたものなので、見出しとか、装飾がおかしなことになっているかもしれない。