自己同一性に対するメモと吐露。読んでもおもしろくないよたぶん
アイデンティティという言葉がある。
『自己同一性』と訳されることが多いが、平たく言えば『自分らしさ』ともいえる。
他人とは違う"自分"という概念が確立していればアイデンティティがうまく構築されているが、人によっては何度もアイデンティティの拡散を経験し、「自分とは何者か」「何をしたいのかがわからない」状態になってしまう人もいる。アイデンティティというものを考えたことのない人も多いだろう。
「何を言っているのかわからねー」という方もいるかもしれないが、
多くの人は『自分らしさ』を確立して社会に貢献していくが、『自分らしさ』がわからないが故に「何をしたいのかわからない」状態に陥り、何もできなくなってしまう人も中にはいる
ということを言いたい。
さっきからアイデンティティ=『自分らしさ』であるとは言っているが、では『自分らしさ』『自分であること』とは何なのか。
例えば「日本人であること」。
スポーツなんかで国別対抗戦を観戦するとき、あなたはどの国を応援するだろうか。多くの人は自分の人種、国籍と一致する国を応援すると思う。「〇〇人だから〇〇国を応援しよう」ということだ。改めて国籍や人種を『自分らしさ』などとしなくたっていいじゃないか、と思う人も今の時代多いだろうが、あくまでも一例として
例えば「~が好きだ」ということ。
「本を読むのが好きだ」「アイドルを応援するのが好きだ」「ゲームが好きだ」こんなことでも『自分らしさ』といえる。
「父が母がお医者さんだから、僕も私もお医者さんになるんだ」と言ってお医者さんになるような子はアイデンティティが確立できているような気がする。心理学におけるアイデンティティという概念を提唱したエリクソンは「青年期の課題である自己同一性の確立をクリアすることで『忠誠心』を獲得する」というのだ。この忠誠心というのは、例えば「多くの病人を救わなければ」といった何かに対して貢献したいという意思のような感じだと思われる。やる気が得られるということか(違
アイデンティティを確立できたとしても、拡散を経験し、再びアイデンティティが失われた状態になることがある。自分が何者かわからない状態になってしまうのだ。
大変抽象的なので、何を言ってるのか分からない人もいるんじゃないかと思うが、たぶん、誰もが経験したことのあることだとは思うし、意識しなくても、知らなくても、何度も体験していくことなんだと思う。
アイデンティティの拡散は高校〜大学生くらいの人間に起きやすいのではないだろうか。学校を辞めてしまったり、やりたいことがなくて受験や就職活動がうまく行かなかったり。何のためにここにいるのか、果ては何のために生きているのかわからなくなってしまう。精神的に未熟な時期だからこそモラトリアムというのがあるのだろうが、猶予期間をもってしてもアイデンティティを確立できない人はできなんだと思うよ。現にここにいるし
あくまでも私の解釈を交えまくった説明(というかメモ?)をしているので、間違っているかもしれない。
ま、アイデンティティという概念が理解できたところで、自分の自己同一性が確立するわけではないし、救われるわけでもないんですけどね。
むしろ自己同一性が確立できていないことを自覚すればするほどつらみがあるというかなんというか…。人が段階的にクリアしているものを、自分は乗り越えられてないのかぁ…みたいな…。自覚しなければそんな劣等感のようなものも知らずに済んだものを
私がこれまで生きてきた経験とエリクソンの発達課題を照らし合わせて鑑みるとどうもアイデンティティが確立できていないとしか思えず、さらには何度も拡散している節があると感じるのだ。
私にはわからんのです。
アイデンティティというものが。どれだけの人間が自己同一性を確立して生きているのか。『自己』というもののあるべき姿を確信し、自信に満ちた人間が強いのはよくわかる。いったい何をしたらそんな人間になるのか そうなりたいとは言ってない
他人を見れば見るほどそんな思いは強くなる。