今なお定期的にスペシャルドラマを放送している『渡る世間は鬼ばかり』。
私が子供の頃はまだ連続ドラマをやっていて、親が毎週見ていたのを覚えている。当時は全く面白くなくて、興味もなくて、えなりかずきやピン子、角野卓造といじわるな姑がでてるドラマくらいの認識しかなかった。
ここ数年の放送も対して興味がなくて、ひな子がでっかくなったなぁくらいの感慨しかなかったのだが、先日のスペシャル版をたまたま見たときには何かが違った。
…見れる。
普通に見れてる。
おかしい…ちょっと前までまったく理解できないドラマだったはずなのに…普通に面白いぞ!?
なんかむやみやたらに除け者にされ、すげえ煽られてる五月が面白い。スマホ買っちゃう五月が面白い。眞の夫婦が険悪すぎて面白い(お前らなんで結婚したんだよ)。文子が俳句の考えすぎによる疲労でぶっ倒れてるのが面白い(中田喜子さんはプレバト!で俳句一生懸命取り組まれています)。相変わらずの言葉遣いと言い回しが面白い。そして最近毎回 岡倉の配当を配るシーンで終わるの面白い。
今まで一度も真面目に渡鬼見たことなかったのにめちゃくちゃ内容理解できてるぞ何なんだこの現象。
渡鬼は家族・家庭を取り巻くアレコレ描くドラマだが、わりと「あるある」的なものとかを感じられて万人受けするように作られているのだ。もちろん、このドラマの基盤には夫婦や育児、仕事など、普通の生活というものがあるため、普通に暮らしている社会人には楽しめるようになっているわけだ。
つまり、子どもはこのドラマの面白さを理解できなくて当然で、そこそこ大人になって、親というものだとか、夫婦だとか、仕事だとか、そんなものを知り始めてようやく楽しめるようになるドラマだったのだ!!
ある程度分別が付くようになると「ありえねー」とか「わかるわー」とか、作品に突っ込んだり共感できるようになるのである。
大学といえば東大だったり、姉妹がみんなそこそこいい感じで仕事できてたり、幸楽と岡倉が異常に繁盛していたり、微妙にできすぎな設定もむしろ楽しめる。スマホというアイテムから最近っぽさを出そうとしてるあたりもなかなか頑張っているように思う。とにかく作中のアレコレに心の中で突っ込みながら、物語中の出来事を眺めるのが面白いのだ。
ついに『渡る世間は鬼ばかり』の面白さを理解しつつあるのが嬉しいような悲しいようなだが、まあ、また一つ面白そうなものを知れたのは悪いことではないだろう。
きっとまた2,3年後に『渡る世間は鬼ばかり』は帰ってくると思うので、今度はもっと楽しめてしまうのだろうなぁ…。