久しぶりにブログ書く気がムクムク湧いてきたぜい!
ということなんですが。
最近はコロナがアレでいろんなアレがアレしていますね。
最近の日本は、今までさぼってきたいろんなことのツケが回ってきている感じがして、コロナ関係でそれが思いっきり露呈して、ダメダメだったことを一気に直さざるを得ないような、ある意味良いきっかけになってるんじゃなかろうかとも思っています。具体的なことは一つも挙げていませんが、まあいろんなことです。いろいろ。アレとか。アレとか。
正直言うと、この新型コロナの一件で、世の中のいろんなことがいい方向に修正されていけばいいなって、ちょっとだけ期待しています。
Twitterでは「ウイルスはだれにでも平等」というツイートを時折見かけることがありますが、私は結構気に入っています。人種も国境も、貧富も地位も関係なく、怯えようが怯えまいが感染していくのは「まあそうよね」ってかんじです。言葉だけで平等を謳う何かよりはよっぽど平等感があります。
世の中平等なんてありえないですけど、ヒトという種族の括りにおいてはだれもがみんな同じヒトであるということを感じられます。おっ、宗教臭がしてきたぞ!
まあそんなことは別にどうでもいいんですけど、最近家族とコロナ関係の話をしたんですが、当然のようにオリンピックの話になりました。
私はオリンピックの開催がいつになろうとなくなろうと、「経済的な損失があってヤバい&選手の方がつらい思いされる」くらいの、わりと自分の感情としては関係ないことだと思っていました。そして多くの人がおんなじように感じていると勝手に思っていました。
ところが、姉と話していると「オリンピックを盛り上げようとするCM見てると悲しくなってくる」と言うのです。
そうか、そういう「悲しい」もあるんだなぁ、って、思いました。
「東京2020」。この言葉を基に、オリンピックを盛り上げようと頑張ってきた人がたくさんいて、今もなおオリンピックの開催に向けて動いている人もいるんですよね。
姉の「悲しくなってくる」という言葉を聞いて、私ははじめて「東京2020」のCMを見て「悲しい」という感情を持つ人がいることを理解しました。
正直いえば、今もオリンピックの開催に関してはそんなに興味はないし、自分に関係ないまま過ぎ去ってくれればいいなぁと思っています。ですが、オリンピックができるかどうかも分からない状況の中、「東京2020」を必死で盛り上げようとしている人がいること、それを「悲しい」と思う人がいること、今なおオリンピックのために努力を続けている人がいること、特別な想いを抱いてオリンピックを待ち望んでいた人がいることは、自分の中でしっかり理解しておかなければならないと思いました。
オリンピックに対する思いは人それぞれですし、中には「オリンピックなんて最初から反対だったんだ!」って人もいるようです。 それでも、ここまで頑張ってきた人、努力を重ねてきた人がなんとか幸福になれるような結末になることを望みます
というわけで、最近思ったことをばばーんっと書きなぐりました。