去年、テレビでたまたま 塩沼亮潤 大阿闍梨(だいあじゃり) のことを知った。
最初はなんとなくテレビに映っていた塩沼さんの山登りの姿を見ていただけだったのだが、回峰行という行があまりにも過酷、そして塩沼さんのエピソードが凄まじくて、つい見入ってしまった。
千日回峰行はすさまじい荒行で大変インパクトがあるので、ぜひ塩沼大阿闍梨の公式ページなどをご覧いただきたい。むしろこの記事を読むよりもそちらを読んでもらいたいくらい
それから何日か後、土曜日の朝。
眠気を感じながら身支度をしていると、『サワコの朝』に塩沼さんがゲストとして登場していた。
短期間のうちに二度も塩沼さんをお見かけすることとなり、私の中には自然と 塩沼亮潤 という存在がインプットされることとなる。
で、年が明け。
なんとなく塩沼さんのことを調べようと思い立ち、インタビュー記事やら千日回峰行に関することを読んでいくにつれ、私はすっかり塩沼亮潤さんに興味津々になってしまったのである。
正直なことを言えば、私は仏教になんにも興味がなく、信仰している神様もいない。
それでも塩沼さんのお話、言葉、経験してきたことを知りたいと思い、結局本を2冊購入したのである。
そのうちの一つがこれ。
歩くだけで不調が消える 歩行禅のすすめ である。
歩行禅。日常的な『歩く』という行為に回峰行などの修行のエッセンスを取り入れることで、歩いて心身とも健康に保ちませんか?ということだ。
表紙のデザイン的にも健康本的なものに感じられるが、内容としては健康本というより、むしろ自己啓発や“行”について学べるようなものになっている。関係ないが、私は自己啓発本というジャンルが嫌いだ。なんかムカムカするので
また、本の最後らへんでは信仰というものに対する塩沼さんの考えも書いてあり、それだけで一読の価値がある。
歩行禅は毎日ぼちぼち続けることに意味がある(修行的な意味合いもあるので)が、そうは言っても継続して物事をやるのが苦手という人も当然いる。
この本ではそんな人たちのために、この本では『継続の極意』を教えてくれている。至れり尽くせりである
継続の極意の一つに『自分のためでなく、誰かのために続ける』という考え方が紹介されているのだが、これが私的にはものすごく納得できる極意だった。
『自分のため』の習慣は、甘えに弱い。自分が疲れているときには「今日はいいか」となりがちになる。
だから、『誰かのため』のほうが頑張れることもある。
『誰かのため』にするということは、自分のことよりも、自分以外の人を優先するということ。『誰かのため』にやることで、誰かが喜んでくれる、誰かが救われるのなら、「乗り気じゃないけど頑張ろう」と思えることもある。
この『歩行禅のすすめ』という本、歩行禅自体の話より、人生をよりよく生きていくヒントみたいなものが面白かった。
ただし、タレントやどこかの大学の先生なんかが同じことを書いていても、正直自分には響かなかったと思う。
なぜ塩沼大阿闍梨が書いた言葉にこれだけ共感し感銘を受けるのかというと、それは塩沼さんが『実修実験』により自らの身を以て真実を悟ろうとする修験道を歩まれた方だからなのだと思う。
塩沼さんという存在を知ってから、私の生活にもいろいろと良い影響が出ていると感じている。もちろん、生きづらさや悩みはちっとも変っていないが、心の持ちようとか自分自身の行動に少しだけ変化が出ている。少しだけ頑張れそうな気がしている。
いつもは好きなものに関する文章ってなかなかうまく書けなくて、結局お蔵入りにしてしまったり、いつまでたっても下書きに入りっぱなしになってしまうのだけれど、今回はうまくまとめられなくても「とにかく外に出したい」という一心で書き上げてみた。
結局言いたいことがうまく伝わらない文章になっているような気もする。が、この記事を投稿したことでなんとなく塩沼さんの生き方や考え方に興味を持ってくれる方が増えたらうれしい。