千日回峰行という修行がある。
毎日山を登っては下り、1往復する。それを約千日間行うという過酷な修行だ。
夜遅くに出発し、どんな天候でも、どんなに体調が悪くとも、山に登り、山道にある神社や祠で祈りを捧げ、山頂についたら今度は下山する。
そうしてまた山から降りて、身の回りの世話を自分で行い、翌日の準備をして就寝する。
山が雪で閉ざされるまでの数カ月、毎日山に登り続ける修行だ。
行者は毎日長時間山を歩き続けるのだから、当然肉体的には大変な疲労がある。
それでも、下山後は掃除洗濯など、自分で自分の世話をしなければならない。
修行中、体の調子は常に悪いか最悪か。
そんな状態でも山に登り続け、帰れば掃除洗濯を行う。
まさに極限状態の中で行われる荒行。
千日回峰行を満行した塩沼亮潤 大阿闍梨(だいあじゃり)のことを知って以来、ほんの少しですが、自分の生活を見直すようになりました。
具体的には、仕事から帰ったらまず家のキッチンダイニングや階段などの掃除をするようになりました。
我が家ではあまり定期的に掃除をやるということがありません。気がつけばゴミやホコリが目に付くようになり、キッチンの床はなんだかペタペタする。普段目につかない部分はまずきれいにはしない。
トイレやお風呂などは当然清潔にはしますが、床掃除は良くて週に1回、フローリングワイパーでホコリを取って、掃除用ウェットシートで申し訳程度の拭き掃除をする程度。
私を含め家族はみんな、生活に支障が出なければなかなか進んで掃除をするということがありません。本当に恥ずかしい話ですが
毎日行きたくもない仕事に行き、帰ってきてから家事なんてやろうとも思いませんでした。
お家についたらあとは自分の時間。食事の準備などはしますが、あとは動画を見たりお酒を飲んだり、好き勝手自由に過ごしていました。
塩沼亮潤 大阿闍梨の千日回峰行のことを知ってから、ちょっと意識が変わりました。
過酷な修行をして毎日の体調が悪いか最悪という人が、身の回りのことをほとんどすべて自分でやっているのに、それに比べて自分はなんと甘えきった生活をしていることか、と。
そこから、自分もできる限り身の回りのことをちゃんとしてみようと思えるようになりました。
それで、仕事からかえったら、まず掃除をしてみることにしたのです。
掃除機をかけ、スポンジモップで水拭きをするようにしました。
以前、休日に同じような手順で掃除をしたとき、「きれいになるのは嬉しいけど、ちょっと面倒くさいなぁ」と感じましたが、習慣としてやろうと決めてからは面倒くさいと感じることは、今のところないです。むしろ、床がきれいなことが多くなり、ちょっと嬉しいと感じています。
正直言えば、そんなふうに思えるのは、今、精神的にそこまで落ち込んではいないからなのだと思います。
それでも今後もできる限り、帰宅後の掃除という習慣は続けていきたいと考えています。