11月27日の塩沼亮潤 大阿闍梨の講演で、「良いものは自然と伝わっていく」という言葉が出ました。
塩沼さんがヨーロッパ圏で活動するにあたり、コーディネーター役をしてくださる方に「塩沼さんは何を伝えたいんですか?」と聞かれた時に、「伝えるのではなく、伝わる」と返したそうです。
なるほどなぁと思いました。
良い話、良い物、良い考えが自然と広まっていくのは当たりまえの事ではあるんですけど、最近は「純粋に良い物だから広まる」というよりは、自分から、もしくは誰かが「『これは良いものだ!』と広めようとしている」ことの方が多いと感じています。
いいものが自然と話題になって伝わっていく、というよりは「戦略を練る」「すでに人気があるものを真似る」「魅力的な見栄えで惹きつける」ということをやって人為的に人気に火をつけるような。流行をつくる とかそんな感じ。それが普通になっているように思います。
もちろんそれは悪いことではないし、商品やサービスを売る上ではそういった努力をしないと例え良い物でも埋もれてしまうことだってあるでしょう。それに、人為的な火付けであっても、そこから人気が出るということは多くの人がそのコンテンツに魅力を感じている証拠ですし。
ただ、やはり不健全であると感じるものもあります。
例えば、検索上位を獲得するために検索エンジンの好むような記事を書き、その記事のせいで本当に優れた記事が埋もれてしまい、検索している人が必要な情報にたどり着けないということがあります。大した内容のないWEBサイトばかりが検索に引っかかってしまうような今のネットはなかなかに不健全なように思います。
まあ、ネットの話と物の話、信仰の話を同列に並べるのはナンセンスが過ぎるかもしれませんが(笑)
話を戻して、塩沼さんの「良いものは自然と伝わる」という言葉は本当にその通りで、塩沼さんの考えや言葉自体がすでに自然と人から人へと伝わっているんですよね。
実は、今回講演を聞きに行ったことやその感想を自分から進んで親に話すようなことはしていません。あんまりしゃべるのが得意ではなく、説明や自分の感想を言うのが面倒に感じる人間だからです。
それでも、母が塩沼さんについて聞きたがるので、ちょっとずつ話しています。
母はあまり仏教についてやお坊さんの話には興味ないかなと勝手に思っていたのですが、実はその逆で、興味津々だったようです。少し嬉しくなりました。
塩沼さんの行じた千日回峰行や四無行については、私が説明するより塩沼さんの著書を読んだ方が絶対に理解が深まるし、心に感じるものもあるだろうと思い『大峯千日回峰行 修験道の荒行』という本を貸しました。
母はその日のうちに本の半分を読んで、思ったこと・感じたことを話してくれました。
また、塩沼さんに会ってみたいとも言ってくれました。
正直言えば、母に塩沼さんの言葉の良さや行について、ちゃんと伝わるか心配でした。
今まで私が良いと感じたものを、「良いもの」としてうまく伝えられたためしがないからです。
だから、母がこんなにも塩沼さんに関心を持ってくれたことが本当にうれしく思えました。「あ、伝わった。分かってもらえた」と思いました。
これは塩沼さんという存在と言葉の力が、一人ひとりがもっている信仰心…のようなものに響くからなのかなと。
…雰囲気で書き綴っていたらなんだかスピリチュアル♡な感じになってきてしまいましたね;
まあ、母はもともと瀬戸内寂聴さんの説法に興味があったらしいのと、人並みに悩みがあって救いを求めているのがあって、そこに私が塩沼亮潤 大阿闍梨の講演会に行ったのが噛み合ってこの結果なのでしょうね。
本の感想については、母と私では感じ方がけっこう違ったのが面白かったです。
結局何が言いたいのか、自分でもよくわからなくなってきましたが…そろそろ書き終わりたいところ。
私は塩沼亮潤さんの考え方や言葉を「いいな」と思っています。時には支えになってくれるし、時には励まされるし、時には行動の指針にもなるほどに好きです。
だから、私が「いいな」「素敵だな」と感じたのと同じように、まだ塩沼さんを知らない人に塩沼さんの考えや言葉が伝わっていったら嬉しいなと思います。
そしてたぶん、人の心の根底に信仰がある限り、ちゃんと伝わると思います。
生きてる限り「つらい」「しんどい」っていうのはついて回るものなのでしょうけれど、その苦しさを少しでも和らげられるような存在をいつも心の中に置いていたですね。そしていつか、自分自身が誰かにとってそんな存在でいられるようになれたらいいなと思います。