てれひこ屋

日記&雑記帳。日常で感じたこと、好きなゲームのこと、いいと思った音楽のこと、自分のことを入れて煮詰めるための坩堝です。

FE風花雪月 青獅子学級プレイ 1部終わったから感想書く

急に先生になりたくなったので、1年ほど寝かせておいたFE風花雪月DLC 煤闇の章を遊んだのですが、これを皮切りに風花雪月の未プレイルートもクリアしたくなりました。

ということで、現在青獅子学級で遊んでいるところです。

 

風花雪月は、担当学級の生徒と他の学級の生徒とでは 関わり方も入れ込み具合も全然違います。明るい性格だと思っていた子が実は暗ーい過去を抱えていたり、癖が強そうな子が意外とまともなことを言っていたり、支援会話を集めていくうちにどんどん愛着が湧きます。

どの学級でも、生徒たちと深くかかわることでそれぞれの印象が随分変わるので、やはり全学級1周はしたいところですね。

 

とりあえず青獅子の学級 1部終了までやってきたので、まずはストーリーの感想をずらずらっと書いていこうと思います。

当然のようにゴリゴリのネタバレで行きますが、1部までの話なのでそこまで大きなネタバレはないかと思います。 

 

青獅子の学級全体の印象

生徒たちを育成していてまず思ったのは、従来のFEキャラクターのポジションに当てはめやすく、使用感が想像しやすいために育成方針に悩まない生徒が多いということです。

風花雪月では、キャラクターごとの得意分野伸ばすだけでは後半のクラスチェンジがままならない状態に陥ってしまうため、ある程度育成方針を定めつつゲームを進行させないといけません。

しかし!

 とにかく育成の自由度が高いために、最終的にどんなキャラクターにするかってかなり悩むんですよね。脳筋っぽい生徒でも魔道の道に進ませることができますし、逆に素手で殴り合いしている姿が全く似合わないようなインドア系生徒にステゴロさせることだってできちゃいます。つよいかどうかは別として

だからこそ、最初からある程度完成形が想像できる青獅子の生徒たちはかなりとっつきやすかったです。

 ディミトリは主人公ポジ(槍持ちでまじめだけどあまり堅くない性格なのでエフラムっぽいかも)、ドゥドゥは物語序盤から活躍する重装系、フェリクスはナバールキルソ剣士、イングリットはヒロインに近いタイプのペガサスナイト、シルヴァンはソシアルナイト、アッシュは経験の浅い弓兵兼若い盗賊ポジ、アネットは魔道学校卒業ということから魔道士系メルセデスは心優しいシスター

といったふうに、FE過去作の流れを風花雪月の世界観に落とし込んだようなところが青獅子の特徴かもしれません。

 

生徒たちの性格ですが、基本的にはよくある説明の通り、騎士道精神あふれる真面目な子が多いって感じです。

が、青獅子の学級って、みんながみんな重いものを抱えて生きている感じもしますね。

アッシュは尊敬する義父を、シルヴァンは出奔した兄を、学校の課題で殺しに行かなければならないですし、ディミトリとドゥドゥは家族、イングリットは許嫁を失っています。アネットの父、メルセデスの弟はいるけどいないようで実はいるし。過去に囚われている子、割り切れないでいる子が多い気がします。

なんか書いてて悲しみの学級じゃん…って感じですね。黒鷲は「親は親、自分は自分」みたいに割り切って生きている子が多いですし、金鹿はなんだかんだみんな仲良しですし。

 

 

青獅子1部は最後の最後に殿下がすべてもってく

1部ではロナート卿やマイクランの死、ギルベルトがさらっと登場、イエリッツァ先生・死神騎士と、青獅子生徒のメンタルをもてあそぶ要素がてんこ盛りなので、実際に担任になるとどんな感じなんだろう~と思っていました。まあ、内容的には全学級ほとんど共通の1部ということでやっぱり対して変化はありません

やはりディミトリがエーデルガルトになにを思っているのか、どういう関係なのかをディミトリ本人の口から聞けるところが一番大きいかなと思います。エガちゃんはディミトリに全然興味なしでしたからね

 

炎帝の正体がわかると、ディミトリの精神が音を立てて壊れていきます。

ここでようやく、今までのディミトリは辛うじてまともでいられただけで、胸の奥には常に狂気的なな復讐心と残虐さがあったことがわかります。フェリクスが「ディミトリはやべーぞ」と言い続け、彼に冷たく当たっていた意味がやっとわかるところですね。

金鹿ルートはプレイ済みなので、5年後ディミトリが怒り狂っているのは知っていましたが、予想の斜め上を行く狂いっぷりで興奮しました。そもそも、5年の歳月を経てああなったのだとばかり思っていたので、士官学校編からあんなに狂気に満ちた言動をするとは思わなかったんですよね。

 まあ、家族をみんな殺されてたった4年しか経っていない状態で、国も不安定、ダスカーの悲劇の本当の黒幕もわからないまま、という状況では、ディミトリの怒りと狂気が増幅されていくのもわからなくはないといったところ。

 

ダスカーの悲劇に関しては他ルートではあまり深く触れられないのですが、青獅子の学級では5年後に掘り下げがあるのでしょうか。ディミトリは黒幕は炎帝だと思っていますが、もうちょっと正確には炎帝ではなくやみうご(闇に蠢くもの)のはず。肝心のエガちゃんルートでは王国内部のことはほとんど語られないので、ちょっと楽しみです。

 

おまけ:スカウトした生徒&教団の人々

 今回スカウトした生徒は

マリアンヌ、ヒルダ、ローレンツ の3名でした。

マリアンヌちゃんはスカウトしないと2部に登場しないので最初から引き抜きを決めてました。その過程でなぜかヒルダちゃんが自ら青獅子に来てくれたので、マリアンヌちゃんのお友達は多い方がいいと思い受け入れ。

生徒たちはストーリー上あまり胃痛にならなそうな人を…と考えていたのですが、そうなると基本スカウトできるのが金鹿の子たちばかりになってしまうんですよね…。クロード率いる軍が貧相なことにならないか心配になってしまったので、かなり控えめな人数のスカウトとなりました。ローレンツどうせ橋で戦うんでしょ?と思い、とりあえず1部の最後の節で適当にスカウト。もうちょっと考えてスカウトすればよかった…

ベルナデッタちゃんも勧誘を考えたのですが、弓兵はアッシュ君が優秀だったので今回は無しに。無事、薪になることが決定してしまいました…

教団の面々と先生方は全員スカウト、灰狼の4人も全員スカウト。

 

 

ということで、青獅子の学級1部の感想でした。

次回は青獅子の生徒に関して、プレイ前の印象と1部後のそれぞれの生徒に対する感想を書いていきたいとも思います。

 

 

よく風花雪月において、どのルートを最初に遊ぶべきか、という話があります。

個人的には 金鹿→青獅子→黒鷲 が一番しっくりくるんじゃないかなーと思います。金鹿は「なんかエガちゃんが皇帝になって戦争起こしてる!意味がわかんねえ!ぶっ飛ばす!レアさん隠し事すんなよ全部教えやがれ!!なんか『やみうご』っていう組織もいるらしい!攻めてきたからぶっ飛ばす!」って感じで、王国のことや帝国内部のことがわからないまま、様々な事件の黒幕であったやみうごを潰して終了するので、その後王国、帝国とやっていくのがいい気がするんですよね〜。ちなみにゲームの製作的は黒鷲の教団ルートから作られたそうです。意外だ・・・。

 

塩沼亮潤大阿闍梨のオンライン講演を視聴した話

 

 

3月14日、ONLINEチケットよしもとで塩沼亮潤 大阿闍梨のオンライン講演が配信されました。

13時〜14時30分の講演で、メインは塩沼さんの講話。最後はコメントに寄せられた質問や相談に答えていただけるコーナーもありました。

 

 MCは宮城住みます芸人のバクコメさん。

塩沼さんが開山した慈眼寺は仙台にあるため、仙台住みのバクコメさんが選ばれたのでしょう。バクコメの秀作さんについて以前ブログに書いたことがありました。密かに応援しているので、頑張っている姿を意外なところで拝見できて嬉しかったです。

Live配信のスタッフは全て よしもとの方だったようで、映像が止まることもなくスムーズな運営でした。

 

 今回のオンライン講演は3月11日から数日経った日取りということもあり、震災の時の話から始まりました。そのあとは懴悔(さんげ)、布施の話など、修行の基本となる考え・行いの話が続きました。

 

私は仏教に関する知識に疎いため、仏教用語を音として聞くだけでは少し覚えにくい部分もありました。内容的には大変わかりやすかったです。

1月から2月にかけて塩沼さんの本をいくつか読んでいたのも、話を理解する助けになりました。仏教用語や神様の名前は日常生活では聞きなれないものが多いので、一度見聞きしただけでは正直覚えきれません…。本を読んだ上で講演を聞けたので、多少は理解が進んだと思います。

 

布施の話では和顔施(わがんせ)』『愛語施(あいごせ)について話されていました。

和顔施とは、いつも笑顔で人と接するということ。

そして愛語施は、思いやりのある優しい言葉をかけるということ。

 どちらも人と対話し、良い関係を築く上では当然大切なことですが、いざやろうとするとなかなか難しいことでもあります。仲のいい人や互いに理解している人であれば普段からできることかもしれませんが、苦手な人とか、なんだかうまく付き合えない人に笑顔で優しい言葉をかけるというのは…結構難しいですよね。言い方や態度、表情なんて、どうしても気持ちがでてしまうところだと思います。

 

日常で「なにかうまくいかないなぁ」と感じた時に、人に原因を求めるのではなく、自分の意識・行動を改善することで、その「うまくいかない」という問題が解消されることだってあるかもしれません。

 常日頃から和顔施愛語施を意識して生活するというのはむずかしいですが、生きていく中でざまざまなことに行き詰ったときや悩んだときに、ふと「笑顔で接する事」「思いやりのある愛のある言葉をかけること」を思い出せたらいいのかもしれないなぁと思いました。

 

…と、こういうことを凡人である私が言っても「なにを綺麗ごとを言っているのだコイツは」と思われるのが関の山といったところです。

でも、実験・実習から得られる経験を重んじる修験道を歩まれた方から、実体験と一緒に仏教の思想や修行のお話を聞くと、不思議と自然に受け入れることができるんですよね。

 

私たちのように普通に社会の中で生活をしている人の代わりに、俗世から離れてある意味恵まれた環境で厳しい修行をするのが僧侶なのだそう。日々時間に追われて目の前のことに精一杯な我々が、我々の代わりに修行をしている僧の方から気づきや知恵、助言を授かるというのは、なんとなく効率的な感じがしますね。

 

 塩沼さんの本の中で「仏教の教えというのは、人生をよりよく生きるためのアドバイス」というようなことが書いてあった気がします。大昔から積み上げられてきた人の思想が、今も脈々と続いて、廃れていないというのはなかなかすごいことのように感じます。

私はいわゆる無宗教ですが、最近は宗教の考えに触れることも大切だと感じています。少しずつですが、理解していきたい分野ではありますね。

今回のオンライン講演も理解への一歩になったと思います。

 

てれひこ屋、ついに記事数200を超える

 

 

いつの間にか記事の投稿が200件を超えていました

始めたばかりの頃はほぼ毎日投稿、その後は隔日、やる気がなくなってからは1か月に1、2回程度の投稿になるという、更新頻度にかなり波があった当ブログ。

さすがに200記事ともなると、ちょっと頑張ったような気になりますね。

 

いつもいつも、文字を打つときはあまり深く考えずにやっています。

読み直すとすごくヘンテコな内容になっていたり、特に伝わるもののない記事になっていたりするんですが、私としては「まあ別にいいか」の気持ちでそんな文章たちをほったらかしにしています。

 

まあいいか と思いつつも、200件も記事を書いてきてブロガーっぽいかっこいい記事を1件たりとも書けていない事実に唖然としている自分が確かにいます。

 

そう、どの記事もなんか微妙

 

 

なんとなく自分のブログを読み直していつも思うんですが、私の書く記事というのはそれっぽく書いているようでそうでもない、なんか垢抜けていない野暮ったくて我が出ていてべとつきのある感じなんですよね。

そもそも内容が「誰かの役に立つ!」とか「お得情報!」とか「これを見れば大体OK!」とかではなく、自分が書きたいことを適当に書きたいだけ書いているだけなので、心構えの段階から ブロガー(キラキラ)っぽいスタイリッシュな文章にならないのは確定しているのかもしれない…。

ベースがすでに脆弱なのに加え、文章スキルがまともに習得できてないことも考えれば、微妙な記事しか書けないのは当たりまえ…のような気がしてきますね。

 

まあ、もともと雑記ブログなわけだし、こういうダラダラしょうもないことを書くことが許されるという圧倒的余白のあるブログ運営が私にはちょうどいいと思っています。

日常生活の中で「あのことについてブログ書きたいなー」とおもっても、形式とか文字数のこととか、正しい情報を書かなきゃとか いろいろ考え始めると「やっぱこれで記事を書くのは無理だなー」となってしまうことが多々あります。こんなゆるゆるの野暮ったい文章ばかりの現状でさえそんなことを考えているのに、これよりもっとしっかりやろうと思ったら、おそらく更新は年1くらいになっちゃうのではないでしょうか。

どうせうまい文章なんて書けないんだから、好き勝手書いて適当に投稿したほうがなんか楽だしいいですよ。たぶん。

 

ということで、これからはもっとカジュアルに、自分に妥協しながら、好きなようにブログを書いていくのを目標に頑張りたいと思います。

 

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最近実装されたこのアイキャッチを適当に作れる機能いいですね。うまく使えてないですけど気に入ってます。もうちょっといじり倒せばいろいろ使い方わかってきそうです。

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