てれひこ屋

日記&雑記帳。日常で感じたこと、好きなゲームのこと、いいと思った音楽のこと、自分のことを入れて煮詰めるための坩堝です。

親友と何年振りかに会ってきた それに伴った心境の整理など

 

ブログ更新頻度下がりまーーす!とは宣言したものの、さすがに月1くらいでは更新したい気持ちもあり、とりあえずこれを書き始めました。

 

 

最近、古い友人や以前お世話になってた人から連絡があるといったことが立て続けに起こっていて、なんだろうこれーと驚いています。

LINEとかそうなんですけど、普段連絡取り合ってない人からメッセージが来ると、なぜか他の人からも連絡来たりするんですよね。この謎現象よ…。

 

 

2月の中旬、半年ぶりくらいに親友からLINEが来ました。

年末年始はバタバタしてたのもあって年始の挨拶すらしてなかったことに気づいて苦笑いしつつ、内容を見てみると「久しぶりに地元に帰るから飲みに行かない?」とのこと。

 

コロナになってから全然会ってなかったし、外で飲むということも全くなかったので、このお誘いはとてもうれしいものでした。

 

久しぶりに友人と会うとなると、なんとなく(なにかの報告かなー、あの話かなー)みたいなものを想像していきがち。

予想は大体当たってて、親友、結婚するとのことだった。

元々結婚願望があったし子供も欲しいと言っていたので、ついにこの時が来たか―といったところ。……これ書きながら、入籍と結婚と婚姻ってほぼ同義だよな…?と思って調べたんですけど、なんかよくわからないですね!(ブン投げ)

 

まあとにかく、親友の人生は着実に進んでる感じがしてとてもよかったです。

彼との関係もとても良好らしく 嬉しそうに話してくれるので、こちらまで嬉しくなりました。こんなに素直に人の幸福を喜べるのは、ホントにいいことですね。

 

 

 

相手が話せば次はこちらのターンなわけで。

実は今まで、パートナーのNさんのことは親友にも話していない状態でした。

というのも、親友が長らく元カレのことを引きずっていたり、今の彼と関係ができてからは会う機会もめっきり減ったりと、なかなかこちらの男性関係の話を言い出すことができないでいたからです。

 

今回、飲みに行くことが決まって、Nさんのことをきちんと話すというのは真っ先に決めていたことでした。

今がそのタイミングだって、今ならちゃんと言えるって、自分の中で思えたんですね。

 

聞かれたら答えるけど、聞かれなければ言わないでいる、というスタンスをとることが多い故に、隠してるつもりはなくても秘密が多い状態になるのが私の非常に悪い点です。自覚はあるけど、なかなか直せない悪癖。

元々しゃべるのが面倒くさいと思ってしまう人間なので、なおさら「言わない、しゃべらない」ことが多いんですよね。それが苦になりにくいし。

 

でも今回は、自分の事をきちんと話そうと思えました。

今年は自分にとって様々なことが動き出す年になりそうだから、というのもあるのですが、私自身の心の持ち方に少し変化があった、というのもあるかなと思っています。

 

 

2019年あたりに思いっきり落ち込んで、そこから一度あらゆることがどうでもいいと思うようになりました。いっそのこともう何にも期待せず全部諦めて生きていった方が楽だと考えるようになり、そんな心持ちで昨年末まで生きてきました。

実際、自分にも他人にも期待しない、諦めて生きる、というのはすごく楽で、おかげで心の中がかなり安定したように思っています。それ自体は全然よかった。省エネで生きるのは自分に合ってたし。

 

ですが、最近になって「ちょっと頑張ってみよう」とか「足掻いてみよう」と思えるようになったんですね。

10月末の人生のセーブデータ用記事にはいろいろなことに対する諦めのことを書いていたので、このあたりの心境の変化というのは本当に急激なものでした。

 

ブログ始めた当初から最近までずっと、自分の存在っていうのがわからなくて、何者でもない辛さってのが常に纏わりついていたように思います。だからこのブログを始めて少しでも自分という存在をこの世にアピールしたかったんだと思う。たぶん。

いろいろあきらめがついてからは、「何者」というこだわりもほとんどなくなっていました。もはやつらさも感じないレベルです。

そして今はどうかというと、やっぱりまだまだ何者でもないけれど、誰かの人生を語る上で多少なりとも影響を与えた人間として登場できるくらい、他人と関われてきてるんじゃないかって、そんなふうに思えるようになっています。「何者」かになれてなくても、これはこれで自分の価値を認めることができているように思います。

 

今までは私一人いなくても、だったのが、もし私がいなかったらこの人どうなってたかなって思える人がいて、それだけで私は生きててよかったかもしれないな、なんて思ったりもするわけです。

 

実際は私がいなければいないで、私の周りの人たちは私の存在しない人生を普通に送っていたはずです。それでも、私という存在がいたことで一時でも、よかった、助かった、ありがとう、って心から思ってくれる人がこの世にいてくれるということを、私自身が自覚できるようになってきています。これはものすごく大きい変化だと感じています。

 

 

今年は私の人生の転換期になるだろうなぁ、と漠然と思っています。

仕事のこととか、パートナーのこととか。これからの生き方とか。全部まとめて大きく変わっていくための過渡期。

で、そのために今は頑張り時なんだと思います。必死に足掻くべき時期にようやくたどり着いたのかもしれません。

 

どうだろう。何年かブログやってきて、今この文章が一番前向きかもしれない。

自分という存在をようやく認められるようになってきているのかもしれません。

 

この先きっとまた挫けるようなこともあるのだと思いますが、今この瞬間、ほんの少しでも自分の存在に価値を認められているのは、ちょっとした成長なのかもしれませんね。

 

 

 

ということで、久しぶりにブログ書いたと思ったらまた人生のセーブポイントを構築してしまいましたとさ。

しばらくはなんてことない楽し気な内容のブログはあまり書かないかもしれません。いまここマジで踏ん張りどころで頑張りどころなんだと思う。頑張ります。

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