祖母が亡くなりました。
おばあちゃんは料理上手な人でした。
実はあまりおばあちゃんの料理の記憶ってなくて、母がおばあちゃんの料理の話をたまにしてくれるのと、母も料理好きということから、おばあちゃんって料理上手だったんだーという情報に行きついたくらい、おばあちゃんのことよく知りませんでした。
私は好きな食べ物とか好物というものがパッと浮かばないような人間です。
小さい頃からずっとそうで、今も「好きな食べ物は?」なんて聞かれてすぐには答えられません。
大抵のものはそれなりにおいしいって思えるし、そこに特別なものはほぼ無いように思います。
そんな私でも、おばあちゃんが作ってくれた料理で「あっ」と思ったことがありました。
小さい頃は春休みとか夏休みになると祖母の家に遊びに行って従兄弟と会う、などというよくある思い出が私にもあります。
祖母の家で祖父祖母、おばおじ、父母、従兄弟たち、姉、みんなで食卓を囲んでいると、ふと気がついたことがありました。
汁物を食べた時に珍しく、これ好きだ、と意識したのです。
しかもこれおばあちゃんちに来た時いつも食べてる、と認識できたんです。
私はこの時初めて、この料理好きだな、なんて料理なんだろうって思いました。食べ物にここまで興味・関心が湧いたのは、これが初めてだったと思います。
小さい頃は本当に何も考えず生きてきたので、この気付きには不思議と感慨深い感情がありました。
おばあちゃんが作ってくれた汁物というのは、福島は会津の郷土料理、こづゆでした。
干し椎茸、貝柱、豆麩、糸こんにゃく、山芋、人参、きくらげなど、乾物がたっぷり入って出汁のうまみがたっぷりのすまし汁です。
大きくなってから知ったことなのですが、このこづゆを作るのは結構な手間らしいのです。
まず乾物を戻すところから始まるので、前日から準備が必要ですし、とにかく具沢山で、それぞれが細かく切られています。
とても美味しい料理なんですが、とても時間と手間がかかる特別な料理だったんです。
それに気づいたら、(ああ、おばあちゃん、私がくるの楽しみにしててくれたんだ)って思うようになりました
いつもこづゆを用意してくれてたんだって思ったら、すごく嬉しくて、そんなところから愛情を感じるようになりました。
おばあちゃんは少し離れたところに住んでいたので、会うのは本当に年に1、2回以下程度で、これといった特別な思い出があるかと考え始めると、少し悩んでしまうレベルです。
それでも、やっぱり優しくて大好きでした。
施設に入ってからはお手紙書いたりもしてみたし、それは間違いなくおばあちゃんの事が好きだったからだと思うし。
今まであまり人が亡くなったからといって、すごく悲しいとか、つらいとか、そんなふうに思ったことはないから、きっとおばあちゃんが死んだからと言って、特別悲しくなったりはしないんだろうなぁと思ってきました。
でも、不思議なことに、よくわからないけれど、実感はないはずなのに、こうやって文章書いてたり話してたりすると、なんだか涙が出てくる時があるんですよね。
不思議なもんです。
このブログを書いているのは2023年3月31日。そして明日、おばあちゃんの顔を久しぶりに見てきます。
その時私はしっかりしていられるのかなぁ。
でもおばあちゃんが思っているよりも、私はしっかりと大人になれたと思うよ。あのクソほど甘えん坊でお母さんに引っ付いてしか生きられなった子供はもういないんだ。安心させに行くよ。