てれひこ屋

日記&雑記帳。日常で感じたこと、好きなゲームのこと、いいと思った音楽のこと、自分のことを入れて煮詰めるための坩堝です。

【日常29】Twitterには書けないことをブログに書くという制約のようなもの

Twitterが付箋メモだとすれば、ブログは真っ白な一枚紙だ。

 

Twitterには文字数の制限があるため、多くの情報を伝えたい場合には連投リプライが必須になる。その点ブログは好きなように文章を構成して好きな文量で投稿できる。

逆に言えば、一言二言、そんなに多い文字を打ちたくないときにはブログで書くには内容が軽すぎてしまう。わざわざリンク踏んで書かれている内容がたったの2,3行で終わってしまうものだと拍子抜けするだろう。

だからこそ、ブログに記事を上げるときは最低でも「何文字以上は書く」という制約が効いてくるのだろうが…そんな制約もたまに重苦しいもののように感じることがある。

別に誰が課したわけでもない、自分自身によるルールでブログの更新をやめてしまうのは少々愚かしい。とりあえず何か書いてみようと思い今こうして文章を打ち込んでいる。

 

まー、書くことがない(笑)

 

ブログを書くときは多少なりとも格好つけてしまっているのだ。Twitterではいくら低俗なことを書こうが、フォロワーの知らないようなゲームのことをつぶやこうが何も気にしない。だがブログとなると、「~を書くだけでは内容が薄いから〇〇のことも書いてみよう」だとか「この内容では見る人もつまらないだろうな」とか「ほかにもっと知識のある人が良い記事を書いているな」とか、そんな風に思い始め、少し書いてみても一向に記事が完成しないのだ。

これは私の中途半端な完璧主義のようなものがそうさせているのだと思う。

 

 

このブログはもともと日記的な感じで書こうかなと思っていたのだが、やっぱりオープンでやる以上はそれなりに読んで為になったとか、面白かったとか、そんな風に思われたほうがいいに決まっている。そんな『理想』を追っかけているから、いい子ぶっているからなかなか更新できないのだ。悪い癖なんだと思う。

 

というわけで、Googleに低質な記事だと思われようが何だろうが、しばらくは好き勝手文章を書く練習でもしようかと思う。

読みにくかろうが価値がなかろうが良いじゃないか。

私が好きな文章は量産型じゃなくてその人にしか書けない文章なんだ。好きにやろう。

もっと適当に、気軽にやればいいんだ。過去の、個人のホームページとか、そういうのってみんな好き勝手やってたから魅力的だったのだ。懐古厨のようでアレだが、ちょっと前のインターネット的な気軽な適当コンテンツは、私としてはなかなか価値があるように思える。

最近の一般的なものに捕らわれずに、好きなようにブログをやっていこう。

【日常28】暑い。冷たい肉そば。

 

例のごとく休日にお蕎麦屋さんへ。 そして例のごとく写真はない。果たしてこのブログにそばの写真を載せるときはくるのだろうか

今回は町中にあるお店に行ってみた。わりと評価が高めで、お昼休みにそばを食べに来る人たちでいっぱいになるようなところだった。私がお店に入ったときはまだ席に余裕がある様子だったが、暫くするとあっという間に埋まってしまった。一人客が多い割にカウンターや長テーブルがないから、余計混んだようになるのだろう。

この日は暑かった。最近昼頃になると暑さのせいで空気が重くねっとりしてくるような気がしている。

 

蕎麦屋さんのおすすめメニューとして一番に書いてあったのが冷たい肉そばだったので、素直に従うことにした。

 

東北は意外と冷たい麺類が充実している。夏のそばの定番といえば冷たい肉そばだ。そば好きな人なら聞いたことがあるかもしれない。肉うどんではない。肉そばだ。

元々は山形県の河北という地域で食べられていたもののようだが、最近ではわりといろんな地域のお蕎麦屋さんで出しているように思う。冷やしラーメンに関しても同様だ。冷やし中華ではなく冷やしラーメン。

肉そばの肉は固く歯ごたえのある親鳥。肉うどんのような甘辛い牛肉の載っかったのとは別物だ。温かいのも冷たいのもあるが、どちらかというと冷たい肉そばのほうが “らしさ” があるように感じる。

 

と、まぁ肉そばの概要はこんな所だ。

 

 

冷たい肉そば。

どんぶりに たっぷりの汁、そして薄切りの鶏肉が蕎麦を隠すほど一面に散りばめられている。ネギが一か所に佇んでいて、味変要員として静かにその出番を待っているかのようだ。

「冷たい」とはいうが、キンキンに冷えているわけではない。常温より少し冷たいくらい。そば自体に多少ぬくもりを感じるような気がする。茹で上がった蕎麦を軽く水でしめてつゆをかけたような温度感だ。

そんな感じなんだっけ?と思いながらもそばを咀嚼すると、ふんわり蕎麦の香りが感じられる。

…おぉ、これはなかなか。

などと通ぶった様なことを思いながら、鶏肉も食べてみる。

薄くスライスされた鶏は親鳥の肉でありながら柔らかく、つゆと絡んで美味しい。そんなに冷たすぎないおかげか、つゆから鶏の油分も適度に感じられてまろやかな気がする。蕎麦との相性もバツグン!クドすぎない味になっている。

この肉そば、おいしいぞ!

 

途中、一味やネギで味を変えながら夢中で食べてしまった。

箸休め的に小皿に用意された大根ときゅうりのお漬物もパリポリした歯ざわりでいい塩梅。大変美味しかった。

 

 

毎度思うのだが、この辺の蕎麦屋で「昼は軽く蕎麦で」というのは大抵通用しない。「美味しい蕎麦でお腹いっぱいにしてってください!」というお店側の気迫のあるお蕎麦でいつもお腹が大満足状態になってしまうのだ。今回も、美味しい肉そばでお腹いっぱいになってしまった。

私が好きなのは江戸っ子の "粋" な蕎麦ではない、田舎蕎麦なのだ。器にたっぷり盛られた、色黒でしっかりした蕎麦をもぐもぐ咀嚼してこそ田舎蕎麦!シンプルで素朴な印象に反し、実はかなり武闘派な力強い食べ物。それが私の大好きな蕎麦だ。

 

 

 

 

↓今までの蕎麦のはなし↓

terehiko.hateblo.jp

 

 

『ソウルブレイダー』と勇者・くんせい の思い出

先日「定期更新はこれでおしまい!不定期に戻ります!」と言ったな。あれは嘘ではない。けどできる限り1日おきの更新ができるよう、書けるときは書いてみようと思います。

 

中学生の頃、少し懐かしいゲームを夢中になって遊んだ。

その当時の最新据え置きゲーム機といえばWIIPS3だったが、2~3世代くらい前のSFCや64のゲームをひたすらやり込んでいた。

SFC、64が現役で遊ばれていたころ、私はまだ幼稚園生だった。姉や父が遊んでいるのを見ているのが楽しくて、たまに姉の進めていたデータで勝手に遊んでは怒られていたポケモン赤・緑マスターボールをその辺の珍しくもないポケモンに投げて怒られたのは鮮明に覚えている。大変悪いことをしました姉上

 

子供は大抵ゲームがへたくそだ。私もそうだった。SFCのゲームはまともに進められたことがなかった。中学生になり、そこそこゲーマーという自意識が芽生えた頃、「昔クリアできなかったゲームをクリアしたい」と思った。

SFCのソフトを引っ張り出して、気になるソフトのデータを覗いてみた。

ソウルブレイダー。こんなゲームあったっけ?などと思いながら起動してみると、2つくらいデータがあった。そのうち一つは姉のものらしき名前。もう一つはくんせいだった。

なぜ「くんせい」……燻製…?と笑っていたのだが、だんだん記憶が戻ってくる。

そうだ…小さい頃親の友人家族を呼んでホームパーティみたいなことをやって、燻製を作ったのだ!そのときからしばらく燻製にハマって…くんせいくんせいと騒いでたんだ。たまたま遊んでいたこの『ソウルブレイダー』というゲームを始めるにあたって、当時気に入っていた「くんせい」という名前を主人公につけたのだ…。

 

そんな小さい頃の記憶を呼び覚ましてくれたソウルブレイダーというゲーム、大ハマりすることになる。

 

このゲームはザックリ説明すると、ひたすら敵を倒して街を発展させ、最後はボスを倒して次の町へ…といった感じだ。ジャンルはアクションゲーム。


[HD・SFC]ソウルブレイダー[紹介単発]

こちらの動画でなんとなく雰囲気を理解してもらえると思う

 

ソウルブレイダーは比較的単純なゲームだ。魔物の巣という敵が湧くポイントを封印することで、街に人や生き物、植物が戻ってくる。それを繰り返すことで最初は何もなかった街に少しずつ生き物や人が増えていきBGMも変化していく。作業ゲー的ではあるが、なかなか達成感があるし、段々と活気にあふれていく街をみるのは楽しい。

また、魔物の巣を封印して助け出した住民たちがフラグとなって新たな力を得たり、ダンジョンの先に進むことができるようになったりするため、定期的に街に戻る必要がでてくるのもよく考えられているように感じる。BGMも結構好きだった。今でもなんとなく覚えている。

 

一応、エンディングはみた記憶がある。装備品や魔法をすべて集めきる前に遊び終えてしまった気はするが、結構やりこんだと思う。

思い出補正もあるのだろうが、ソウルブレイダー』は「また遊びたいな、移植されないかな」と思っているゲームの一つだ。今ではこんな単純な作業げー的なゲームはもうコンシューマー向けとしては存在しないと思う。だからこそレトロゲーが恋しくなることがあるのだろうなぁ。

もう実機でSFCのソフトを遊ぶ機会はないだろう。それでも勇者・くんせいソウルブレイダーの世界を救ったことは私の記憶の中にあり続ける。ありがとう、くんせい。ありがとう、ソウルブレイダー。いつかまた会えたら、そのときはよろしく。

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