昨日書いた『れんげ荘』の感想では「なんか微妙なとこもあったけど楽しめた」みたいな感じに思ったんですが、一日置いてみて、主人公にちょっと共感してるのかもなんて思った。
れんげ荘を読んでいるときは主人公・キョウコに対して「一人暮らしを始めるにしても、仕事を辞める必要はないじゃないか」「40代なんだしもうちょっとだけ頑張ってみればいいのに」「そもそも有名広告代理店でバリバリ働いてて、しっかりお給料ももらってて、邪魔者でもないんだから辞めちゃうのはもったいない」と心の隅っこでは確実に思っていた。
年齢や職場に関しては全然違うけど、「その言葉、自分にそっくりそのまま返してやろうか?」ってなったときに、それはちょっと傷つくな…と思った。
考えてみれば私もおんなじだった。「一人で暮らしていきたい」「仕事を辞めたい」「細々とでいいから自分の心の思うままに生きたい」ってずっと思ってきたじゃないって。
小説を読んでいるときは、キョウコが仕事を辞めたことにあまり共感できなかった。
もう少し我慢してやればいいのにって。
でもきっとキョウコはもう限界まで来てたからこそ、行動に踏み切ったんだと、一日たった今なら少し理解できる。キョウコは職場の人間関係に嫌なものを感じながら、20年も耐えたんだ。立派じゃないか。
私だって仕事を辞めたいと毎日毎日思っているが、他人から見れば「もうちょっと我慢して働けばいいじゃない」なんだ。しかもキョウコの仕事歴と比べたら、私の仕事歴のなんと日の浅いことか…
こういうのは比べられるものではないだろうし、人によってその苦しさや辛さは違うのだけど、やっぱ「もうちょっと頑張ったほうがいいのかな…」と思う材料にはなってしまう。
キョウコは貯金生活者になるため、8桁の貯金をしたとある。いちおう80まで生きるとして、毎月10万ずつおろしていってもなんとか生活できるという考えに基づいて仕事を辞め、れんげ荘に住み始めた。
キョウコと私の違いは、実在、非実在は置いといたとしてもたくさんある。
給料、年齢、キャリア、センス、能力…
考えれば考えるほど違う。
キョウコがうらやましい…。
私もこの家が嫌なんだ!職場の人間関係が嫌なんだ。仕事が嫌なんだ。こんな場所で働きたくないって思っているんだ!って必死になって思う。
でもキョウコとの違いを感じれば感じるほど、思い通りに生きていくのは無理だなって思い知らされる気がしてしまう。
キョウコは頑張ったからね。私は何か頑張ってきたかなぁ…(何もやってきてない)
大前提、キョウコは小説の中の人物であるということはわかっていても、それを羨んでしまうのだ。
そしてその次には「詰みかけてきてるなぁ」なんだよね。
こんなのは自分にやる気と行動力と計画性があれば何とでもなる。人生に詰みなど存在しない。
そんなことはよくわかっている。今さら言うまでもない。
でもそれができる人間なら、今こうしてないよね…って堂々巡りになる。