てれひこ屋

日記&雑記帳。日常で感じたこと、好きなゲームのこと、いいと思った音楽のこと、自分のことを入れて煮詰めるための坩堝です。

【日常31】自分で書いた文章が好き。

 

自分のことがあまり好きではない。

最近ではそんな気持ちも落ち着き始めていて、「こんな自分でも受け入れよう」「ヘンテコだけど、悪くないよね」と思えることが増えてきたように思う。

 

現実だろうがネットだろうが、Twitterでもブログでも、私が私であることには変わらない。

 

 

子供のころからインターネットにどっぷりつかっていた私だが、中学生の頃は学生特有の携帯ホームページというものにはまっていた。周りの友人らは好きなアニメやバンドの創作小説なんかを書いていたが、私には2次創作なんかは無理だった。やろうとも思わなかったし

携帯ホームページでは主に自分しかわからないような内容の日記を書いていた。一応、友人らの目に触れることや、見ず知らずの人間も見られるネット上のコンテンツだということを考慮すれば、具体的な出来事や心情は書きたくなかったのだ。

 

 

その頃からの癖…なのかわからないが、自分で書いたものを定期的に読み返すのが好きだ。誤字脱字や内容のチェックではない。ただ単純に読みたいから読むのだ。

過去に書いた文章というのは、読み返してみると意外と楽しい。

その文章を書いた当時のことを思い出すし、最低限 見栄えのいいように推敲したのが感じられて(がんばったなー)と懐かしむことがある。

それに、文章自体結構よくかけてるんじゃない?と自画自賛してしまうことも少なからずある。

それから、Twitterで自分のツイートを読み返すこともしょっちゅうある。日常的にプロフィール画面からツイートを確認してしまうし、完全に酒に酔ってツイートしたのを、次の日になって「変なこと書いてないだろうか…」と心配して読み返すのはよくある。ツイートを見直すことにはそんなに意味はないのだが、やっぱりこれも癖なのか、よくやりがちだ。

 

 しかし、自分で書いた大して出来の良くない文章を読んで楽しめるとは…

…もしかしてナルシストなのだろうか…?

 

現実では決して感じることのない『自惚れ』に、ついナルシストという言葉がよぎった。

 

 

正直言えば、その辺にゴロゴロ転がっている上手で読みやすい文章に比べて、私の文章は思い込みの激しいわかりにくい文章になっている自覚はある。それを理解したうえで、なぜか自分の文章が面白いと思ってしまうのだ。

結局、私は自分のことが好きなのだろうか、嫌いなのだろうか。

単純に白黒つけられる話ではない。

好きなところ、嫌いなところ、認めてほしいところ、認めたくないところ。いろんな部分が混じり合って自分になっているのだから。

今回のこの「ネット上にアップした自分で書いた文章が好き」という妙な特性はさしずめ『インターネットナルシスト』とでも名付けられるだろうか。

 

そのうち自称しちゃうかも。インターネットナルシスト。

 

 

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私が選んでいるので割と評価されていない記事が多いという、私しか得しない地獄のような特集である。自らに苦行を課したい方はぜひ読破してみてください。とてもつらいと思います。特にKYOM。

 

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